映画とか辛くて観られんのよ。

映画やドラマに過剰に感情移入してしまい見ることが辛い人いませんか、私です。
でも好き。好きだけど辛い。だから人より見始めるときの気合がちがう。

特に映画は長時間感情が強制的に動かされるので苦手。

見ていると感情移入しすぎてしまうので、携帯触りながらとか
ご飯作りながらとか、お酒飲みながらとか、とにかく気持ちを散らしていないと
心のリソースが足りなくなってしまい、自分でも引くほど疲れてしまう。

なので、行儀が悪い事は承知でご飯を食べながら、携帯で漫画を読みながら、さらにテレビで映画を見たりする。側から見ればイライラさせてしまうようなことを、自分を守るためにしてしまう。やっぱり話題作や興味のある映画は見てみたい。

重い題材だとその傾向が顕著に出てしまう。
何が辛いって、主人公だけでなく、悪役やヒロイン、その他端役(という言い方は正しくないかもしれないが)の気持ちまで慮ってしまい、心が足りなくなってしまうし、ストーリー上の所謂”正義”的なものと自分を重ね合わせて、「なんて恥の多い、間違いの多い人生だったんだ、、、」と一緒に見た人がドン引きするレベルで凹んでしまう。映画館に行く事は好きだけど、ストーリーに集中しなければいけなくなるし、トイレがめちゃくちゃ近くなるのでお酒を飲みながら挑むこともできない。

でも、大学時代はそんなことなかったような気もする。根拠のない自信があり、人の気持ちに鈍感で、共感や配慮は皆無で、自我を通しまくるし、相手がどういうふうに感じるのかを考えずに人を傷つけまくってきた。1日1作「鬱映画」と呼ばれる映画を見続けていても平気で人間生活を送れていた。今は多分無理だと思う、冗談じゃなく鬱になってしまう自信がある。
※見る人間側の問題です。

いつからこんなふうになったかというと、社会人になり、自分に自信がなくなったからのような気がする。社会に出て初めてのことばかりで、自分は何もできない人間だったんだな、と自覚してしまい、そしてそれをそのまま受け入れて努力できるほど強くなかった。違う場所で満たそうとしてしまい何度か恋愛方面で失敗し、自信のなさは悪化し、それを取り繕うように失敗を重ねてきた。世間的にはそんなに大した失敗でもなかったような気もするけど。そしてそんなことで自意識の溝は埋まらないと社会人3年目まで気づけなかった。けど気づいた途端自分の理解できないような行動をしている人にも感情があり考えがあり、もしかしたら悲しい過去があり、私とは違う意識の中を生きているかもしれないことを知った。見えている世界が全く違うかもしれない。
自分の思う正義は人の正義ではないことを知ると、一度否定しても「今のは本当に否定していいことだったのだろうか?」と反省するようになった。
次に「相手はどう思っているだろう?」と思うようになった。これを習慣として続けると映画のいろんな役に思いを馳せて自爆する人間の完成である。

ここまで書くととてもいい人になったように感じるけれど、(そうでもないか?)根が良い人ではないので、突発的に出た素の自分にしばしば苦しめられる。自分が言った一言を、1週間反省し続けるなんてザラで、しかも他人にとっては大したことがない場合が多いようだ(夫談)

そんなこんなで私は映画やドラマを見ることが苦手だ。
先日レビューした「整形水」も正直ポケモン剣盾しながら見たし、本を1冊読み切るのに最低でも1週間はかかるし休み休み読むので1ヶ月以上かかることもある。

ドラマを一気見できる人がとても羨ましい。2時間程度PCに向かって考えてみたけど、根暗な自分を曝け出しただけで特に落とし所も解決策も見つからなかった。私は今日もこんな性質と共に生きていくしかないようだ。