ナナメの夕暮れを読んで - 自分に呪いをかけないということ

 

オードリー若林さんの『ナナメの夕暮れ』を読み終わりました。

烏滸がましくも、私は若林さんと同じくナナメの住人だと思う。
そのため、読んでいてそこらへんの自己啓発本より「なるほど、そうか。」と
腑に落ちる部分が多くあり、そういう生き辛さへの最適解はそれぞれで見つけていくしかない。

巻末の解説のように「わかってる」レビューを書いてみようと思ったけれども書き始めて30分悩んでみて諦めた。無理。普通に無職が思ったことを素直に書きます。

まず まえがき がめっちゃオシャレ。最初に本を棚に戻すことを勧めちゃうなんて。
と思ったけど、自分の頭の中を丸っと見せちゃうようなエッセイだったので、自分と違う人種の人間に読まれて純粋な目で「どうしてそう思うの?」なんて言われた日には辛くて引きこもっちゃうだろうな。

読んでいて本当に納得というか”そうなっていきたいな”と思うところが多くあったけれど特に好きだったのが

「大人の授業」「おっさんはホスト」「ナナメの殺し方」だった。

大人の授業に関しては、テレビにデザインがあるという言い回しが好きだと思った。ヤラセや仕込みに敏感で厳しい試聴者がいる一方で番組のほとんどはきっとデザインされている。それはドキュメンタリーでもきっとそう。そのことに気づかないフリをしてみんなテレビを楽しんでいるんだな〜と思った。あと、先輩タレントに言われた一言が痛烈で。実際みんな他人がどう生きていたって「どうでもいい」んだよな〜。仕事でも恋愛でも実はみんな自分のことで精一杯だけれども、与えられた(つもりになっている)役を全うしようとしているのかも。それは義務ではないので、恋人や仕事の役などは簡単に辞めることができるけど。(簡単ではないかもしれないけど)
個人が社会構造の一番上に位置していること、について私はよくわからなかった。最初からそうだったように感じるから。会社に所属するのではなく、個人を尊重し自分で決定を下して生きていくことに憧れもある。しかし仕事を辞めてみて、こんなに心細いものだったのか、とも感じている。

おっさんはホストに関しては、私もとてつもなく人見知りで、ちゃんと「戦闘モード」もしくは泥酔していないと初対面の人間とは話せない。ので、おっさんになると人見知りは成立しない、ということに少し安心した。それもそうだな、と。
泥酔すると逆に人の判別が、「人か人じゃないか」「男か女か」ぐらいのことしかわからなくなってしまうので気づいたら連絡先が増えているが今後連絡することは一生ない。おばさんとお姉さんの間にいる私にもきっといつかホスト側に回る日が来る。

ナナメの殺し方については、「自分に呪いをかけないようにしよう」と思った。世の中は呪いの言葉に溢れている。SNSには美容体重や美しさの定義を顔もわからない人が提唱し、それを信じて自分自身を呪う人がたくさんいる。「逃げ恥」でも吉田羊さんが「自分に呪いをかけないで」と言っていたことを思い出した。否定をすることは自分に呪いをかけることでもある。私もできる限りのことを肯定していきたい。自分のために。
高校生の頃、「男性アイドルなんか好きになるもんか」と思っていた。
28歳の私は、先日のBTSの活動休止に、RMと一緒になって号泣していた。

まだまだナナメは殺せそうにないけれど、今日も自分を探しながら生きようと思います。